2つの時間軸を滑らかに行き来する物語。「笹まくら」丸谷才一

空と笹小説・エッセイ

今回紹介する本は、「笹まくら」丸谷まるや才一さいいちです。

「打ちのめされるようなすごい小説」を読みたい!

そんなことを思ったことはありませんか。
先日、ロシア語同時通訳者であり、エッセイストでもある米原万理さんの書評集「打ちのめされるようなすごい本」を読みました。

「打ちのめされるようなすごい本」は、当時の世相や、がんに侵されていた著者の体調、そして著者自身の過去の体験と絡めながら、様々な本を紹介する書評集となっています。
その書評集の中で、「打ちのめされるようなすごい小説」として紹介されていたのがこの「笹まくら」です。

米原万理さんの書評に誘われるままに読んでみたのですが、たしかに「すごい小説」でした。
ぼくが何度も感嘆のため息をつく羽目になったこの本は、

  • 過去と現在を行き来する小説を読みたい
  • 戦時中と戦後の日本のことを知りたい

という人にオススメです。

すでに米原万理さんの書評があるのにも関わらず、改めて紹介するのも恐縮ですが、ぜひこの「笹まくら」を読んでみてください。

滑らかな過去と現在の時間移動

「笹まくら」の魅力は、

戦後と戦中、2つの時間軸を滑らかに行き来する物語

です。

主人公は、第二次世界大戦時に徴兵忌避を行い、身分を隠して日本各地を転々とした「浜田庄吉」という男性。
戦後になり45歳を迎え、大学の事務員として平穏な暮らしを続けていた彼に、ある女の死亡通知が届くところからこの小説ははじまります。

そして物語は、戦中の日本を偽名である「杉浦健次」として徴兵から逃亡していた彼の過去の記憶と、「浜田庄吉」として平凡に生きる彼の現在が交じり合うようにして展開していきます。

特筆すべきは、絡み合う過去と現在のストーリーの行き来の滑らかさ
物語が過去へ行った瞬間は、明確にわかる。なのにどうしてこんなに「現在」と「過去」の描写が継ぎ目なくつながっているのか。
ぼくは何度も首をひねることになりました。

小説という形式でなければ決して実現できない、そんな時間感覚を呼び起こされる著者の手腕にただただ打ちのめされる。
「笹まくら」はそんな小説になっています。

「笹まくら」と著者の紹介

「笹まくら」の著者は丸谷まるや才一さいいち
丸谷才一は、日本の小説家です。1925年に生まれ、戦時中は学徒動員により軍隊生活を経験しているようです。
1968年に芥川賞を受賞した「年の残り」をはじめ、著書多数。
2012年に亡くなられています。

そして「笹まくら」は、丸谷才一が1966年に発表した長編小説です。
丸谷才一としては2作目の長編小説であり、河出文化賞を受賞した作品となっています。

戦中、戦後の日本を描くこの作品。
丸谷才一自身が多感な年齢を過ごした時代でもあり、その経験が色濃く反映された小説となっています。

「笹まくら」のストーリー

倉敷の街並み

過去と現在を自在に、滑らかに行き来する

すでに紹介したとおり、本書の魅力は過去と現在を自由に行き来するところです。

とはいえ、ドラマや映画でもフラッシュバックが多用される現在。
小説においても、2つの異なる時間軸で物語が進んでいくというのは、そう珍しい手法ではありません。

ぼくのもっとも好きな小説である「スローターハウス5」カート・ヴォネガット・ジュニアでも、過去と現在、そして未来へ、他に類を見ないほどダイナミックに時間を行き来します。
(そういえば、「笹まくら」も「スローターハウス5」も、どちらも同じ第二次世界大戦について書かれた「時間移動小説」になっています)

しかし「笹まくら」が際立ってすごいのは、その時間移動の滑らかさ
その時間移動のどこにも「継ぎ目がない」にも関わらず、「時間軸が移動した」と明確にわかるように書かれているのです。

時間軸の移動の表現方法として、よく使われるのは、

  • 一行あける
  • 章を変える
  • 『過去』とか『〇〇年〇月』といった文字を挟む

などです。
一方、この「笹まくら」はそれらの手法を用いません。

ただ改行だけで、時間の移動が行われる。
にも関わらず、様々な工夫で滑らかに過去と現在を行き来させ、読者に対しても瞬時にそれとわかるようにしてある

その例をあげれば、

しかし、言うまでもないことだが、杉浦は何よりも阿貴子に会いたかったのである。二十四歳の孤独な男は、年上の恋人の心と体を求めていた。
 四十五歳の浜田は、茶碗を円い小さなテーブルに置いた。

「笹まくら」 丸谷才一

という風に、改行でつながれただけの文章同士であるにも関わらず「二十四歳/四十五歳」と「杉浦・孤独な男/浜田」という対比で、時間の移動がすぐにわかるようになっているのです。

この小説では過去と現在が溶け合うようにして、主人公の浜田庄吉は何度も過去のことを思い返します。
この滑らかな時間移動が、浜田庄吉の過去へと、読む人を没入させるのです。

日本における徴兵忌避/兵役逃れ

興味深かったのが、この小説が「徴兵忌避者」をテーマにしているところです。

戦争をテーマにした小説は、これまで何度も読んだことがあります。
戦争被害者の立場の小説や、戦争へ参加し悲惨な現実を目の当たりにした当事者が主人公の小説もありましたが、中には徴兵忌避を描いたものもありました。

ぱっと思い浮かぶのは、「オウエンのために祈りを」ジョン・アーヴィングです。

「オウエンのために祈りを」では、ベトナム戦争での死を避けるため、兵役を逃れる主人公の姿が描かれています。

戦争が起こっている最中には、徴兵忌避という現象が発生する
その事実は、知識としては頭に入っていました。さらには「醤油飲み」という兵役逃れの方法があるという「ムダ知識」さえ備えていました。

なのになぜかその知識は、日本や第二次世界大戦には結びついていませんでした。
命を犠牲にして敵の軍艦に特攻させることすらさせていた日本軍。
そして島国であり、国境を越えることがそう簡単にできず、まして戦争相手が近隣諸国であった当時の日本。
そんな状況では、徴兵忌避など出来るわけもないし、起こるわけがないと無意識に思い込んでいたのかもしれません。

この「笹まくら」では、当時の日本の徴兵忌避についても描かれます
主人公は、行方をくらまして、憲兵などの国家権力の目を恐れながら各地を転々とする。
あるいは主人公の友人は、絶食により意図的に体重を落とし、徴兵検査を乗り越えようとする。

当人の意思や思想に関係なく行われる徴兵検査に対し、どう対処していくか。
そんなことは、その時代に生きる人なら当然考えざるをえなかったことなのだと、この本を読んで改めて気づかされました。

一方でまた、どれだけの人が徴兵忌避を試み、成功したのかとも考えさせられました。そのデータは、おそらく残ってはいませんが……。

今となっては想像することしかできない、徴兵忌避の現実。
主人公の浜田庄吉の姿を通じて、この小説はその現実を描き出してくれるのです。

戦争という過去

「笹まくら」の結末は、あまり華々しいものではありません。
物語は、現在の浜田庄吉の平穏な暮らしが、不穏に崩れていくところで終わっていきます。

大学内の出世競争や、世相の移り変わりにさらされ、「徴兵忌避」という彼の公然の秘密を知るものたちに悩まされるようになる主人公。
その一方で、ある事件をきっかけとして「徴兵忌避」という自分の選び取った過去が、「現在の自分に与えた影響」を自覚することになります。

そこでぼくが改めて考えさせられたのが、戦争というものの存在の大きさです。
徴兵忌避を行い、逃げ回った過去のことをいまだに引きずる主人公。
一方で軍隊を経験し、また戦争を生き抜き、そして浜田庄吉を異端のものとしてみる彼の周囲の人々。
どちらにも共通しているのは、戦後となり、日々を平穏に過ごせるようになってもなお、戦争当時のことを思い起こさざるを得ないことです。

戦後70年以上が経ち、日本では戦争という過去を実感することは少なくなりました。
しかし一度現実の生活が戦争にさらされてしまうと、元に戻ることは決してない。
本人たちの意思には関わりなく、その後の人生にまで大きな影響を与えてしまうことになるのです。

過去と現在とを滑らかに行き来する筆力で書かれた「笹まくら」は、そんなことを改めて実感させてくれる作品でした。

「笹まくら」のまとめ

「笹まくら」の紹介でした。

すでに50年前以上前の作品となる本書。
戦争忌避者というテーマや、そこで描かれる戦後の日本の姿は、現代の日本から大きくかけ離れたものであるかもしれません。

しかし作者の滑らかな時間移動の表現や、戦後の平穏な暮らしの中に生きる主人公の姿は、戦後の「荒れ果てていた日本」と、「現代の日本」が地続きにあるという感覚を与えてくれます。

ぜひ、あなたもこの「打ちのめされるほどすごい小説」を手に取ってみてください。

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